2018.02.01

「そもそも数学の証明って何だろう?」

数学を研究したり学んだりしている人に「なぜ数学を研究している(学んでいる)のですか?」と聞いたら、その答えは千差万別でしょう。ある人はその「美しさ」に魅せられて、またはその「有用性」ゆえに必要に迫られて勉強しているのかもしれません。その恐るべき「自由性」に引き付けられているからかもしれませんし、または「面白いパズル」と思って問題を解いている人も少なくないでしょう。あるいは、「証明されたことは絶対に正しい」という確実性に魅力を感じて研究している人も少なくないでしょう。

この確実性は他の自然科学には見られない数学独自のものです。例えば最先端の物理理論が新たな現象の発見によって覆されるのは歴史上何度も起こっており、今も起こっています。地球上では正しく動いていた機械が宇宙では正しく動かないこともよくあることです。ところが、数学の定理はいったん証明されたならば、それは未来永劫、宇宙のどこでも絶対に「正しい」ものです。この「正しさ」は「数学の証明」に支えられています。ところで、「証明」とはそもそもなんでしょうか?

数学の証明は、少数の「公理」から始めて、三段論法などの正しい「推論」を厳密に積み重ねることでなされます。数学の公理は、かつては「数や幾何に関する絶対に正しい性質」と考えられていました。平面幾何学の公理の一つ「平行線公準」は、「直線Lとその直線上にない点pが与えられたならば、点pを通りLと平行な直線がただ一つだけ存在する」というものです。古代ギリシャより、この平行線公準は世界の性質を表す公理であり当然のように「正しい」と思われていましたが、19世紀にロシアの数学者のロバチェフスキーやハンガリーの数学者ボーヤイによって「平行線公準がなりたたない幾何学があり得る」ことが発見されたことにより、絶対的に正しいものではなく、現在では「(真偽はともかく)幾何学を行う上での議論の前提」ということになっています。しかしながらこのことは、様々な公理を仮定することで色々な数学の理論を作ることができる、ということを意味します。平行線公準を公理として認めるならば、皆さんが中学や高校で学んだ平面幾何が得られ、認めないときにはまったく別の幾何学が得られるわけです。こういった形で数学の自由性と創造性は大幅に増すことになりました。

それでは、推論とはなんでしょうか?古代ギリシャより「正しい推論とは何か?」は議論されており、哲学の一分野である論理学の主要なテーマとなっています。その後、19世紀にドイツの論理学者フレーゲや数学者ヒルベルトらよって、数学の証明は形式化できること、すなわち「ある特定の規則をみたす文字列」と考えることができること、そして推論とは「文字列のある種の変形規則」とみなせることが発見されました。「証明」は、大前提の「公理」を「特定の変形規則」にそって変形した「文字列」となったのです。そして三段論法などの数学に限らず使われる「正しい推論」は実は数種類で十分であることが数学的に示されました。これらの研究により、「推論」や「数学の証明」は「どのような文字列ならば規則を満たすか」「どのような変形規則がありえるか」のように数学の研究対象になりえることが判明したのです。この研究は、現在のコンピュータやコンピュータプログラムの基礎を成しています。また、排中律などの推論法則を制限したときに「どのような定理が証明できるか」なども数学として広く研究されています。公理や推論、そして証明といったものですら研究対象にしてしまう、数学の自由さは本当に恐るべきものがあります。

形式化された証明[1]

 

[1] Fundamental Theorem of Arithmetic by Artur Kornilowicz and Piotr Rudnicki,
Mizar Mathematical Library