2015.12.01

統計学の光と闇(応用数理学科)

今、最もセクシーな仕事
2009年。米国Google社のチーフ・エコノミストVarian氏の言葉がニューヨーク・タイムズ紙に掲載され話題になりました。
「今後10年間で最高にセクシーな職業は統計家(statisticians)である」
それから6年になりますが彼の先見は間違ってはいなかったでしょう。巷にはビッグデータという言葉があふれ、「統計学は最強の学問」などと謳われる今日この頃。統計家の需要は年々高まっているように見えます。
この統計学を理論からしっかり学べるのが応用数理学科です。今回は、統計学と数学の現実への応用について、興味深い事例を紹介したいと思います。
統計学にもたらされた光
統計学の目的は、データの散らばり(分布)の様子を数理的にモデル化し、そのモデルを使って将来を予測することです。例えば、過去の株価のデータから投資損益の分布の数理モデルを作り明日の収支を予想する、というのが典型的な例です。この分布の代表的なモデルが「正規分布」と呼ばれるものです。正規分布は、世界三大数学者としても知られるC.F.ガウスが天体の観測誤差の研究の中で定式化し、昔の10マルク紙幣にもその分布を表す関数が描かれていたほど有名な分布で(下部画像参照)、統計学のあらゆる場面で応用されます。その人気の秘密をざっくり言えば、データを“大量に”集めると“一定の条件の下”でそれが正規分布するという数学的事実にあります。この数学上の定理に支えられ「正規分布の仮定」は多くの簡便な統計的手法を生み出し、数学的な正当性をも与えてきました。まさに、正規分布は統計学に光をもたらしたと言ってよいでしょう。
実は投資理論の多くにもこの「正規分布の仮定」が使われていたりします。投資に興味のある人なら一度は耳にしたことがある(?)株価の“ブラック=ショールズ・モデル”でも株価収益率(≒株価の増減を直近の株価で割った値)に正規分布を仮定しています。そのおかげで美しい理論構築が可能になり、1997年にノーベル経済学賞を受賞します。一時は“正規分布万能主義”のような思想がはびこったその頃…そこに大きな落とし穴が待っていたのです。

gauss

「正規分布」が描かれた旧10マルク紙幣

正規分布に潜む闇?
2008年9月。アメリカの大手投資銀行リーマン・ブラザーズが破綻しました。いわゆる「リーマン・ショック」です。これが引き金となり世界経済は金融危機に陥ります。これには様々な要因がありましたが、その一つに投資損益に対する「正規分布の仮定」があったといわれています。金融市場における投資収益の変化は目まぐるしく“ばらつき”が大きいのですが、実は正規分布ではこのような大きな“ばらつき”をうまく予測できません。例えば、正規分布の仮定の下では200年に1度くらいしか起こらないはずの想定外の株価変動が、リーマン・ショックの前後で実に数十回の頻度で起こっていたと言われています。このため、ファイナンス理論を研究している数学者や統計学者たちに非難が向き、某国首相が「ファイナンスを教える数学の教授たちは自らが知らずして人道に反する罪を犯している」と発言。数学者たちが連名で新聞に反論記事を掲載するという事態にまでなりました。
数学者たちの反論は?
確かに、正規分布に基づく理論は美しい体系を作り汎用性の高いものでした。しかし、先述のように正規分布が使えるのは“一定の条件の下”であることに注意せねばなりません。数学者たちの反論はこうです。「我々は、市場において理論の前提条件が満たされない可能性に常に警笛を鳴らしてきた。それらの警告に耳を傾けなかったのは一体誰だったでしょう」
あまりにも魅力的な結論を与える数学上の結果を応用するとき、その結論だけが独り歩きして前提となる条件が無視されることがしばしば起こります。しかし、数学はすべて仮定の上に成り立っており、少しでも前提条件が崩れれば結果は全く違ってしまうかもしれないのです。
「リーマン・ショック」は、数学を実社会に応用する上での重要な教訓を我々に与えてくれました。数理モデルはあくまで現象に対する近似にすぎません。モデルがどのくらい現実を説明できるか、様々な角度からの実証によって慎重にそれを確認し、その上に数学の理論を積み上げていく必要があるのです。
ちなみに、冒頭のVarian氏の言葉はリーマン・ショックから1年後の記事です。彼の言葉は単なる統計ツールを操る統計家でなく、理論を背景に是非を論ずることのできる統計家の需要を示すものと理解すべきでしょう。我々は歴史に学ばねばなりません。皆さんも応用数理学科で正しい数学的知識と実践的精神を身に着け、自らの力で新しい未来への扉を開いてみませんか?

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