2016.12.01

数学を学ぶ理由 (数学科)

算数や数学がどうして大事なのかの説明は、身近にありふれています。小学校の算数はお金の勘定と切っても切れない関係にあるし、高校で学ぶ微積分は物理学やそれに基づく様々な工学の知識と切っても切れない関係にあります。金融資本主義が発達し、高度に情報化した現代においては、数学はますます重要になっていく… こんな話は、ほとんど陳腐と言えるほど繰り返し言われてきたことで、異論の余地はないはずです。そうだとすれば、社会の大多数が算数や数学の重要性を真剣に捉え、進んで数学の勉強に励んでも良さそうなものです。しかし、現実はそうなってはいません。老若男女問わず自分が勉強する段になると「数学なんて勉強しても役に立たないでしょ」などと考える人は少なくない。「重要だ」とわかっているのに「役に立たない」とは一体どういうことでしょう。

なぜ計算練習をするのか

小学校で掛け算の九九を覚え、足し算引き算の繰り上がり繰り下がりだの、掛け算割り算の筆算だのをさんざん練習させられた記憶というのは誰にでもあるでしょう。そういう作業を楽しいと感じた人もいるでしょうが、ただの苦痛でしかなかったという人も少なくないはずです。そんなとき、必ず出てくるのが次のような意見です。

このような数の計算はコンピュータ(昔風に言えば電卓)を用いれば瞬時に出来るのであるから、手計算の速さ正確さを鍛える必要はないし、時間と労力の無駄でさえある。

これは一見説得力のある意見に見えますし、ある意味では正しい主張と言えるでしょう。どうしても5桁の数同士の掛け算を計算して答えを求めねばならない事情があったとして、電卓やコンピュータを用いずにあえて手計算でやったほうがよい理由など存在しません。計算の結果だけが必要なのであれば、もちろんコンピュータにやらせるほうがよいに決まっているのです。

しかし、学校で計算練習をする目的は計算問題の答えを求めることではありません。数の四則演算がどのような原理に基づいてなされるのかを理解することがその主眼なのです。例えば、小学校の正の整数同士のあまりの出る割り算の筆算のやり方に習熟していなければ、高校で習う整式の整除を理解するのは困難で、その先にある剰余の定理、因数定理、3次以上の式の因数分解など様々なことの理解が困難になるでしょう。このように、算数や数学の勉強で最も大事なのは、なぜそうなるのかを理解することであり、個別具体的な計算を速く正確にすることそれ自体には大した価値はないのです。

そうなると計算のやり方さえ理解すれば計算練習などいらないじゃないか、何であんなに時間と労力をかけて計算練習をするのか、と思われるでしょう。その答えも実は明白です。ほとんどの人は、具体例の計算を通してしか、算数や数学のなぜそうなるのかをきちんと理解することはできないからです。これは、最先端の数学の研究でも同様で、数学者は抽象的な理論を作ったり一般的な定理を証明する前に、まずは必ず具体例を計算し、そこで何が起こっているのか、どういうところが難しいのかの検討から始めます。歴史上の大数学者たちがしばしば膨大な計算を記したノートを残していたりすることは非常に印象的です。

数学を使うということ

さて、計算練習が算数や数学の学習にとってエッセンシャルな要素だということを納得してもらったとしましょう。それでもなお、こういう意見を言う人は必ずいるでしょう。

しかし、私は数学の理論を勉強することには興味がない。実利上、数学は必要な時に必要なだけ使えればよい。だから、そもそもなぜそうなるかの理解に時間や労力を費やす必要はなく、ユーザーとして数学的な知識を効率的に使って生産性を上げることこそが重要だ。

これもなかなかに説得力のある意見です。計算機の出現以降、経済活動に必要な金勘定は表計算ソフトなどでやるのが当然で、暗算や手計算でやるのは意味がないのと同じように、より高度な数学の知識もユーザーの立場で効率的便利に使えさえすればよいのであって、なぜそうなるのかは関係ない。実際、私も含め多くの人がそのようにして暮らしています。明日訪ねる予定の美術館まで案内してくれるスマートフォンの動作の一つ一つがどんな数学的原理で可能になるのか、隅々まで理解しているわけではなく、いやむしろ、ほとんど何も知らないで使っているのです。この意見に対する常識的な反論はこうでしょう: 全員が数学のユーザーになってしまったら、新しい数学の知識、あるいは、新しい数学の知識に基づく科学の進歩が止まってしまう。それは人類社会の維持、あるいは進歩にとって望ましいことではない…

これは非常に苦しい反論です。実際問題としてほとんどの人が数学のユーザーでしかないのだから、数学を深く理解する必要はないのだという主張に答えていません。だからこう言われます。数学なんて、ごく少数の変わり者だが才能のある者にやらせておけばよい、と。

自動推論

このような観点は、これから先、最先端の数学の研究においてさえも致命的かもしれません。数学の議論にはルールがあり、そのルールに則ってなされる議論にはしばしば幾つかのパターン・定跡があります。数学者は時として全く新しい論法を発見したりもしますが、ほとんどの場合は既存の定跡の組み合わせで定理を証明していると言ってよいでしょう。しかし、このような「パターン認識」はまさに機械学習の得意とするところであり、コンピュータが囲碁で人を打ち負かすように、人間が一生かかっても学びえない量の数学の議論を消化したコンピュータが、世界トップの数学者よりも新しく斬新な論法を生成するようになるというのは、必ずしもSFの絵空事とも言えないように感じられます。実際、計算機による数学の自動推論・証明支援について真面目に研究している学者もたくさんいるのです。

そうなったら、数学者は全員失業するのでしょうか。もう昔ながらの数学者はいらないと言って、誰も数学のなぜそうなるのかを深く理解し研究しようとしなくなったらどうなるでしょう。コンピュータだけが数学の議論のパターンについての膨大な知識を持っており、人間はほとんど数学を知らない。それは、人間の創造的な思考の営みの一分野としての数学の死を意味します。人間が「ユーザー」の立場に徹し、効率を求めて行った先にそんな世界があるとすれば、背筋が寒くなるのを禁じえません。今後は逆に、数学のなぜそうなるのかを一人でも多くの人間が頭の中に保持しておくことがこれまでになく重要になるのではないか、そんなことを、大学で数学を教えたり研究したりしながら考えたりします。

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