ランダムウォークとスケール極限
– 複雑な系の上の異常拡散現象を探る –
基幹理工学部 数学科 熊谷 隆

物質中の熱伝導は、物質内での粒子のランダムな振動によって生じます。この現象を数学的にモデル化したものがランダムウォークやブラウン運動です。
単純な例として数直線を考えましょう。数直線の整数点の上を動く粒子で、1秒後に右方向か左方向にそれぞれ確率1/2で1ステップ動くような、ランダムウォークを考えます。粒子の時刻tでの位置を\(\sf X_t\)と書くことにし、次に点と点の間隔を短くして\(\sf 2^{-n}\)としましょう。この時、\(\sf 2^{-n}\)\(\sf X_t\)はメッシュの間隔が\(\sf 2^{-n}\)のグラフの上のランダムウォークになります。このままnを無限大にすると、粒子は動かなくなってしまうので、時間の方もスピードアップします。この時、時間を\(\sf 4^n\)でスピードアップする、つまり\(\sf 2^{-n}\)\(\sf X_{{4^n}t}\)を考えると、nを無限大にしても粒子が動かなくなったり一瞬で無限大に飛んだりすることなく、数直線上のランダムな動きをし続けることが知られています。このスケール極限で現れるランダムな粒子の動きを、ブラウン運動といいます。ブラウン運動というと、理科の時間に顕微鏡で観察した花粉の粒子の動きを思い出しますが、ここで登場するブラウン運動は、そのような現象を数学的に厳密な形で記述したモデルです。このブラウン運動を使って、数直線上の熱伝導を詳しく解析することができます。例えばブラウン運動を使って熱方程式の解を表記することができ、その確率密度関数としてガウス核が現れます。スピードアップする際の\(\sf 4^n=\)\(\sf 2^{2n}\)ですが、この指数のnの係数に当たる2は「ウォーク次元」と呼ばれ、粒子の拡散のスピードに深く関わる量なのです。ここでは1次元の数直線でお話ししましたが、一般のd次元ユークリッド空間の上でも、ブラウン運動のウォーク次元は2であることが知られています。

次に、シェルピンスキー・ガスケット(図1の左側の図形)と呼ばれるフラクタル図形の上のランダムな粒子の動きを考えてみましょう。まずは図1の右側のような、フラクタルを近似する離散グラフを考え、その上のランダムウォークを考えます。つまり、粒子が三角形の頂点(図の黒丸)にいるとき、1秒後に隣接する頂点に等確率で動くようなランダムな動きを考えます。先ほどと同じく粒子の時刻tでの位置を\(\sf X_t\)と書き、メッシュの間隔を\(\sf 2^{-n}\)としましょう。\(\sf 2^{-n}X_t\)で時間のスピードアップを考えると、今度は\(\sf 4^{n}\)ではまだ足りず、\(\sf 5^{n}\)でスピードアップする、つまり\(\sf 2^{-n}\)\(\sf X_{{5^n}t}\)を考えると、nを無限大にした時にフラクタル上のランダムな動きをし続けることが、1980年代後半に厳密に証明されました。極限に現れるランダムな粒子の動きは、フラクタル上のブラウン運動と呼ばれ、ブラウン運動を解析することでフラクタルという複雑な系の上の熱伝導が詳しく分かってきました。\(\sf 5^n=2^{(log 5/log 2)n}\)なので、この図形のウォーク次元はlog5/log2となります。数直線の時の2よりウォーク次元が大きくなっており、通常の空間とは拡散のオーダーが異なるので、異常拡散と呼ばれます。

ランダムウォークとそのスケール極限を考えることで、さらに複雑な系の熱伝導も解析することができるようになりました。一例として、次のようなランダムな図形(ランダム媒質)を考えます。一辺の長さが2Nの正方形内の正方格子をとり、この頂点が全てつながり、しかもループがないように隣り合う点を長さ1のボンドで結んだグラフを考えます(図2参照)。このようなグラフを、長さ2Nの正方格子の全域木といいます。このような全域木はたくさんありますが、全域木全体から等確率で一つ取り出したランダムなグラフを考え、Nを無限大にしたものを二次元一様全域木と呼びます。このモデルは、シュラム-レヴナー発展と呼ばれる、今世紀に入って確率論に二つのフィールズ賞をもたらしたモデルに大いに関係します。ここでも、離散グラフの上にランダムウォークを構成し、然るべき時間と空間のスケールでスケール極限を取ることで、拡散現象を調べることができます。このようなランダムウォークもやはり異常拡散をし、ウォーク次元は13/5になることが最近の研究で分かりました。

ランダム媒質の上のランダムウォークの異常拡散現象は、この他パーコレーションクラスターやエルデシュ-レーニイのランダムグラフといった、相転移現象を起こすグラフの上でも詳しく研究されています。これらの研究は、例えば複雑系ネットワーク上でどのようにウィルスが広がるか、といった様々な応用につながる可能性を持っています。
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京都大学 数理解析研究所