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異世界ファンタジーとしての固体物理学

基幹理工学研究科 材料科学専攻 乗松 航

この世界には、2種類の空間が存在することをご存知でしょうか?一つは、我々が実際に生きている空間で、これを実空間と呼びます。当然のことながら、実空間には原子や分子、さらにそれらが周期的に配列した固体が存在します。もう一つは逆空間と呼び、そこには逆格子と呼ばれる格子が存在します。ちょっとした異世界ファンタジーだと思ってもらっても構いません。この逆空間や逆格子の考え方は、私の専門とする固体物理学の基礎であり、現代のエレクトロニクスの基礎でもあります。我々のような固体物理研究者は、この逆空間の中でものを考えているとも言っても過言ではありません。

具体的に言いますと、実空間にある物体、例えば飛んでいるサッカーボールの位置エネルギーUは、右上図に示すように実空間における座標(x, y, z)と関係する高さの関数となります。一方で、半導体や金属の中の電子のエネルギーEは実は、実空間の座標(x, y, z)ではなく、逆空間の座標である波数k = (kx, ky, kz)と呼ばれる変数の関数となります。このE(k)をエネルギーバンドと呼び、固体中で原子が周期的に配列していることに由来します。この図には、現代のエレクトロニクスを支えるシリコンのエネルギーバンドを示しています。

また、実空間における物体の運動は運動方程式F = maに従います。例えば野球ボールに力Fを加えると、ボールは加速度aで動き出し、加速度aは速度の時間微分dv/dtで、速度vは位置xの時間微分dx/dtで表されます。それに対して半導体や金属中の電子の運動方程式はF = ℏdk/dtで表されます。つまり、電子に電場や磁場によって力を加えると、位置xが直接時間的に変化するのではなく、波数kが時間的に変化するのです。そして電子の速度vは、v = 1/ℏ dE/dkで表されます。すなわち、速度はエネルギーの波数微分、言い換えるとエネルギーバンドE(k)の傾きに対応します。例えば、右下図に矢印で示す位置にいる電子は、バンドの傾きがゼロであるため、速度はゼロ、つまり運動することができません。この電子に対して、電場などによって力を加えると、波数kが変わるので、矢印の位置から少し右か左にずれます。すると、ずれたあとの点では傾きがゼロではなくなるため、ある速度で電子が運動することができます。これが、物質に電場をかけたときの電子の運動となります。

物質の性質の多くは、このエネルギーバンドによって決まります。例えば、アルミニウムとシリコンは、原子番号が一つしか違わないにも関わらず、一方は金属でもう一方は半導体です。あるいは、同じ炭素でできた物質でも、ダイヤモンドは透明かつほぼ絶縁体なのに対して、鉛筆の芯を構成するグラファイトは黒く金属的です。これらの違いとその起源は、エネルギーバンドの特徴によって見事に説明することができます。鉄が磁石につくのも、窒化ガリウムがLEDに使われているのも、それらのエネルギーバンド構造に原因があります。最近では、エネルギーバンド構造を実験的に直接観察することも可能です。そしてこの逆空間や逆格子、エネルギーバンドは、量子力学を学び、その先で固体物理学を学んで初めて理解することができます。物質の持つ様々な性質の原理を明快に理解できることは感動です。そしてそれらを精密に制御して利用するエレクトロニクスによって、現代の我々の生活は支えられています。我々の生活をもっと豊かにする新技術も、そこから生まれてくることでしょう。

最後に、我々の研究室では、グラフェンやカーボンナノチューブなどの低次元物質を研究対象としています。グラフェンのエネルギーバンド構造では、シリコンとは違ってバンドがゼロでない傾きを持っています。これは、量子力学に相対論を取り入れた相対論的量子力学に従う粒子と等価です。また、バンドの傾きが大きいため、本質的にグラフェン中を電子が非常に速く移動することが可能です。その速度は秒速1,000 kmを超えます。しかもグラフェンは2次元物質であり、本質的に表面しか持ちません。これは、グラフェンにちょっとした刺激を与えるだけでその電子状態を大きく変調できることを意味しています。超伝導になったりもします。グラフェンを使うと、今のスマートフォンより100倍通信速度の早いデバイスを作ることができるかもしれません。元気な学生たちや世界中の気の良い仲間たちと、低次元物質の研究を楽しく進めています。もし固体物理学や低次元物質に興味があったら、研究室のホームページ(https://www.nano.sci.waseda.ac.jp/)やYouTubeチャンネル(https://www.youtube.com/@norimatsu)を御覧ください。