検索窓の向こう(情報理工学科)

ハリー・ポッターの世界と我々の世界の違い
ハリー・ポッターの世界と我々の現実世界との重要な違いを挙げてほしい。
「現実世界には魔法なんてない。」
魔法使いにobliviateという忘却の魔法をかけられたマグル(魔法を使えない普通の人間) ならこう答えるかも知れないが、別の答えを考えてみてほしい。ヒントはハーマイオニーである。
勉強家のハーマイオニー。何かわからないことがあったとき、彼女がどうするか思い出して欲しい。
「ウェブ検索する。」
いやそれはない。彼女は必ず図書室に行って本を探すのである。そう、ハリー・ポッターの世界には、検索エンジンが出てこない。我々が二十世紀にそうしていたように、情報が欲しいときは図書館や図書室に出かけて調べ物をするのである。一方、我々はと言えば、もはやウェブ検索のない生活など考えられないという人が多いだろう。
ビッグ・ブラザーはあなたを見ている
別の本の話をしよう。村上春樹の「1Q84」ではなく、オーウェルが1948年頃に書いた「1984」という小説をご存知だろうか。市民の日常生活の全てが監視されている社会を描写した重苦しい話である。市民は監視されていることを知っている。街中のいたるところに
「Big Brother is watching you.」
と書かれているのだから。
「1984」の世界もハリー・ポッターの世界と同様、我々の世界、少なくとも我々の国とはかけ離れていると思うかもしれない。しかし実際には、我々の日常を事細かに観察している「ビッグ・ブラザー」が存在する。それは我々がいつも使っている検索エンジンである。
検索エンジンは、我々がいつ、どんな検索キーワードを入力し、どのホームページをクリックして何秒閲覧したかといった情報を全て記録している。スマートフォンなどで検索する場合は、検索時の位置情報を取得する場合もある。この意味で我々は常に監視下にある。
幸い、我々の「ビッグ・ブラザー」は (おそらく) 我々を支配するために監視しているわけではなく、我々の検索体験をよりよいものにするために検索行動データを活用している。例えば、どんな検索キーワードが入力されたときにどんなホームページが閲覧されるのかという情報を大量に収集しておくと、これをもとに検索結果の質を高めることができる。また、我々に適切な検索キーワードを推薦することもできる。
ユーザが欲しい情報に到達するための手助けをする技術全般を「情報検索」や「情報アクセス」という。この研究分野は情報理工学科の守備範囲に含まれる。究極の目標は、ユーザが何かを検索したいと意識するまでもなく必要十分な情報を入手できる世界を作ることである。このとき「検索」という言葉は死語となるかも知れない。
オリンピックでメダルを狙う
情報検索の研究は1950年代頃に始まったが、当時の関心事は図書館の索引をいかにうまく作って本を探しやすくするかであった。ハーマイオニーの世界である。一方、今日における情報検索・情報アクセス研究の対象は、ウェブ検索、多言語情報の検索、twitterのようなソーシャルメディアの検索、ビデオの検索、スマートフォンからの検索など、大規模化・多様化している。膨大かつ多様な情報から有用な情報だけを探し出してユーザに提供するのは簡単なことではない。しかし、例えば災害時に適切な情報が検索できれば命を救えるかも知れない。情報アクセスは非常に重要な研究分野である。
研究者が新しい情報アクセスシステムを開発し、それが世界一のものだと確信したとする。確信しているだけでは自己満足なので、ライバルと比較したい。このために、研究者達が自分のシステムを持ち寄って同じ土俵で比較評価を行う「評価型会議」という仕組みがある。同じようなことを考えている世界中の研究者が集まり「ウェブ検索」「twitter検索」といった種目別に競い合う様子は、スポーツで言えばオリンピックに似ている。協調し、競争しながらよりよいシステムの実現を目指すのは楽しいものである。
皆さんもオリンピックで金メダルを狙ってみませんか。