結晶中を運動する電子
基幹理工学部 電子物理システム学科 小山 泰正

 ご存じの通り、粒子の運動を表す物理量としての運動量やその保存則である運動量保存則は、大学入試での必須の学習内容と言うこともあり、理工学部の皆様にとって大変馴染み深いものでしょう。では、運動量や運動量保存則は、一体、何を基礎に導かれるのでしょうか。少し不思議な感じがするかも知れませんが、空間が示す対称性の中で、空間の一様性と言う対称性に関係しています。具体的には、一様な空間内での力学的性質は任意の距離の平行移動に対して不変だと言うことです。そこで任意の距離と言うことなので、無限小の平行移動を考えることにより運動量や運動量保存則を導くことができます。また、空間の等方性と言う空間の回転に関係する対称性もあり、無限小回転から角運動量と呼ばれる物理量を得ることもできます。ただ、角運動量については紙面の都合上ここでは触れませんので、興味がある方は各自で調べてみてください。

 物理には、私が専門としている固体(結晶)物理という分野があります。これは結晶中における電子の振る舞いについて、その理解を目的とする学問です。では、固体(結晶)物理の場合でも一様な空間と同様に、電子の運動量を考えて、その振る舞いを理解することは可能なのでしょうか。ここで、一様な空間との相違は、結晶内の電子が周期的な規則正しい原子配列の中を運動していることで、その結果、結晶の持つ対称性からの要請を受けることになります。特に重要な対称性は、周期的な原子配列に関係する有限距離の平行移動の対称性で、このため、結晶中の電子の状態はブロッホの定理と呼ばれる定理を満足しなければなりません。そして興味深いことに、ブロッホの定理を満足する電子の状態に対して、一様な空間で定義される運動量を得ることはできず、また運動量保存則は必ずしも成立しないことが知られています。

 では、結晶中の電子の振る舞いはどのように扱えばよいのでしょうか。実は、結晶内の電子に関しては、結晶運動量および結晶運動量保存則の言う概念を通して、その振る舞いを理解することが可能です。一見、結晶と言う言葉がついているだけのようにも思えますが、一様な空間の場合とは異なるものです。実際、結晶運動量と結晶運動量保存則は数学の離散群の概念と関係していて、このため電子の状態は並進群や空間群と言う対称操作群の既約表現を通して理解されることになります。また、並進群の既約表現が波数ベクトル \(\it k \) で指定されることから、結晶中における電子の振る舞いを理解するには、逆空間や逆格子と言った概念の理解が不可欠です。そこで逆格子を規定する逆格子ベクトルを導入すると、既約表現 \(\it k \) と逆格子ベクトル \(\it g_i \) だけ異なる既約表現 (\(\it k \) + \(\it g_i \)) は同値であることが導かれます。実は、結晶運動量保存則はこの同値性に基づいています。すなわち、繰り返しになりますが、固体(結晶)物理において議論される物理量は、数学における離散群の概念と結びついていて、そこから興味深い概念や物理現象が生まれることになります。例えば、ブリルアンゾーンや電気抵抗でのウムクラップ過程等、固体物理の様々な場面でお目にかかることができます。

 上述したように、固体(結晶)物理では、数学を単に計算手段として利用するのではなく、数学での抽象概念が表現論を通して具現化し、さらに具現化を通して物理現象を理解していくと言う筋道を取ります。しかし、数学、特に線形代数があまり得意ではない学生にとって、分かり難い分野であることも事実です。固体(結晶)物理は不思議な世界です。この小文を通して、多くの学生諸君に少しでも興味を持っていただけたら幸いです。