自己と他者のバウンダリー 基幹理工学部 表現工学科 渡邊克巳

私たちは、自身が他者とは異なる独立の存在であり、自分の身体、自分の感情、自分の考えが、自己に帰属しているという認識をもっています。当然のことのように感じるかもしれませんが、この感覚がどのようにして生じるのかを調べるのは、決して簡単なことではありませんでした。近年、認知科学の実験的手法を用いることで、特に、身体が自己に帰属している感覚(身体所有感)を構築する情報処理過程が明らかになりつつあります。興味深いことに、身体所有感に基づく自己と他者の境界(バウンダリー)は決して明確に線引きできるものではなく、個人の特性や他者との関係性、社会的状況等によって容易に変容されうる、柔軟かつ曖昧なものであることがわかってきました。

ラバーハンド錯視、エンフェイスメント錯視

例えば、ラバーハンド錯視という現象があります。これは、視覚的に隠された自分の手と、目の前に置かれた作り物の手が同じタイミングで繰り返し触られる(筆のようなもので撫でられる)ことにより、次第に作り物の手が自分の手であるかのような感覚が生じる現象で、1998年にMatthew Botvinick&Jonathan Cohenによって初めて報告されました。ラバーハンド錯視は、視覚情報と触覚情報の一致性によって生じると考えられています。脳はこれまでの経験をもとに、視覚情報と触覚情報が同時に知覚された場合、それは自身の身体に生じた入力であると解釈するため、作り物の手が自分の手であるように身体感覚の再構成が行われるのです。ラバーハンド錯視は自己の身体が外界に拡張する現象をよく表現していますが、より社会的な自己と他者のバウンダリー変容を表す現象として、エンフェイスメント錯視があります。エンフェイスメント錯視では、自分の顔が撫でられるのと同じタイミングで目の前の他者が撫でられるのを観察するときに生じる現象で、錯視が生じると他者の顔が自分の顔と形態的に類似していると感じるようになります。さらに、錯視の結果、他者に対してより自身に近い性格特性を帰属させることや、他人種に対するネガティブな態度がポジティブな方向に変容されたという報告もあります。このように、視覚情報と触覚情報の統合は、身体だけではなく、より高次な概念としての自己と他者のバウンダリーを接近させる(重ね合わせる)効果ももつようです。

身体内部に由来する感覚―内受容感覚―

近年、視覚や触覚のような外界から入力される感覚情報(外受容感覚)だけではなく、心臓や胃腸などの身体内部の臓器から入力される感覚情報(内受容感覚)も、身体所有感を始めとする身体的自己認識、さらには高次の概念的自己認識に重要な役割を担っていることが明らかになってきました。内受容感覚(interoception)は、イギリスの生理学者Charles Sherringtonによって1906年によって初めてその用語が用いられ、空腹やのどの渇き、尿意などに関する感覚情報を脳に伝達することで、ホメオスタシスを維持する機能を担っていると考えられています。環境の変化に応答して生体の恒常性を保つというその役割から、内受容感覚は自己身体の不変性・一貫性に関与していると考えられています。内受容感覚はその感受性の個人差が大きいことが知られていますが、内受容感覚が鋭敏な人ではラバーハンド錯視やエンフェイスメント錯視が生じにくいことや、ペリパーソナルスペース(自己身体の「周辺」と知覚される空間)が狭いという報告もあることから、内受容感覚の鋭敏さは自他のバウンダリーの強固さと関連があることが示唆されます。
このように、内受容感覚と外受容感覚の相互作用のなかで、決して固定的ではない自他の曖昧なバウンダリーが形づくられているのだと考えられます。そしてその曖昧なバウンダリーが、自他を適切に分離しつつ他者との共感を可能にするような、人間の高次の社会的認知機能において重要な役割を担っていると考えられますが、その詳細な情報処理過程は未だに不明なところが多いです。人間の社会性や他者との関係性を「身体」という側面から見ることで、認知科学研究の新たな展開が期待されます。